2019年4月9日に紙幣のデザインが変更されると発表されましたね。
約20年ぶりとなる変更で、2024年度をめどに新紙幣が発行されるそうです。
これまで、樋口一葉が描かれていた五千円札は、津田梅子が描かれることになります。
しかし私は、津田梅子という人物がどんな人で、何をした人なのか知りませんでした。
みなさんはご存知でしたか?知らない人もじつは多いのではないでしょうか?
そこで今回は、津田梅子が何をしてどんな功績を残した人なのか調べてみました。
有名なエピソードなどを交えて分かりやすくご紹介していきます!
そもそも津田梅子って何した人なの?
津田梅子が何をしたかを簡単にまとめると。。。
- 日本人の女子で初めて留学した。
- 津田塾大学を設立した。
- 日本の女子教育基礎を築いた。
という才女であり、女子教育に貢献した方なのです。
津田梅子は、1864年に東京に生まれ、北海道開拓史の仕事をしていた父、津田仙について麻布に引っ越します。
この時に出会った、北海道開拓使の次官である黒田清隆が女子教育に力を入れており、父が女子留学生に津田梅子を推しました。
そして津田梅子は岩倉使節団と共に渡米することとなりますが、この時の年齢はなんと!留学生最年少の6歳でした。
その後11年の間、アメリカで英語、ラテン語、フランス語などの語学やピアノや英文学、心理学などを学び帰国しました。
6歳から11年もアメリカにいると、逆に日本語が分からず通訳が必要なぐらいだったようです。
日本にいる家族への手紙も英語で書いてしまうようになっていて、帰国した時の家族や親戚とのあいさつもかなり苦労したというエピソードがあります。
津田梅子の功績としてはどんなことが挙げられるの
津田梅子の大きな功績として、津田塾大学を設立したことが挙げられるでしょう。
帰国した津田梅子はアメリカと日本の文化の違いに驚いたようです。
当時の日本では女性の職が少ないことや、「女性が学問を身につけるのは結婚のため」という風潮が当たり前で、女性が社会で活躍出来る文化ではないことに驚いたのですね。
帰国後は華族女学校(現在の学習院女子中・高等科)で英語教師として3年余り勤めますが、馴染めなかったようでした。
そんなとき、再びの留学を勧められ再び渡米し、生物学と教授法を学びます。
ここで津田梅子は女子教育に興味を持つようになります。
3年後、彼女は大学から残って研究を続けるように勧められますが断り、帰国しました。
帰国した津田梅子は、以前勤めていた華族女学校で再び教鞭をとります。
また、女子高等学校と女子大学などの設立に協力し、自身も1900年に「女子英学塾」を開き、身分の区別のない女子教育を始めます。
この「女子英学塾」がのちの「津田塾大学」です。
「津田塾大学」は津田梅子が立ち上げた女子教育の先駆けとなるすごい学校だったのですね!!
津田梅子の女子教育は具体的にどんな教育なのか?
これまでの女子教育は、結婚していいお嫁さんになるための教養を身につける事が前提でした。
しかし、津田梅子の作った「津田塾大学」は女性が社会に出て役に立てるような実用的な教育に力を入れていました。
生半可な気持ちで入学した生徒の中には脱落者も多かったようです。
それほど、津田梅子の教えは熱心で厳しいものだったので、鬼教師とも呼ばれていたようです。
それでも、設立当初は10人ほどの小さい塾だったのが、女性の新しい教育の歴史に影響を与えることになったのです!!
津田梅子についてもっと知りたい!本人の書いた著書はあるの?
ここまで読んでくださった人の中には、津田梅子についてもっと知りたい!本人の書いた本なんかあれば読んでみたい!と思った人もいるのではないのでしょうか?
でも残念ながら、津田梅子本人が書いた著書というものはありませんでした。
ですが、津田梅子について書かれた本は数冊ありましたので、ご紹介しますね。
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お子様向けの本↓
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新紙幣の津田梅子、渋沢栄一、北里柴三郎が一度で見れる本↓
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まとめ
今回は、津田梅子が何をしてどんな功績を残した人なのかをわかりやすくまとめてみました。
- 津田梅子は6歳の時、岩倉使節団と共にアメリカに留学した。
- 1900年に「女子英学塾」(のちの「津田塾大学」)を開き、身分の区別のない女子教育を始める。
- 「津田塾大学」は教養ではなく、女性が社会に出て役に立てるような実用的な教育に力を入れてた。
彼女は当時の日本の結婚観に嫌気がさしていたのか、結婚願望があまりなく生涯独身でした。
個人的に、大きな功績をこの世に残す歴史的人物は、短命な方が多いと思いますが、津田梅子も享年64歳という若さで生涯を閉じました。
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現代の日本は、女性も社会でバリバリ活躍できるようになりましたが、これも津田梅子の女子教育のおかげなのでしょうね。
まさにお札に描かれるのにふさわしい功績と言えますね!!